松江の銘酒、豊の秋 - 「豊の秋」醸造元 米田酒造株式会社

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「出雲地伝酒」復活物語

出雲地方独特の酒、地伝酒の復活

 

出雲地方には太古から伝わったとされる地伝酒(じでんしゅ)という出雲独特の酒があり、昭和18年(1943)ごろまで造られていた。

地伝酒は古くはもっぱら飲料とされていたが、近年は調味酒として使用され、のやきかまぼこ、宍道湖七珍料理など出雲の郷土料理の基調となすものとして珍重されていた。しかし戦時の統制経済で製造が中止された。

昭和13年(1938)発刊の「出雲新風土記」(太田直行)には、松江市から平田市にかけて四軒の酒屋で年間274石 (49.4キロリットル)の地伝酒が造られていたと記されている。

特産品の振興を目指して松江商工会議所が平成元年(1989)1月に市内の料亭・酒造・醤油等の食品業者、工芸作家等を集めて「MATSUE流の会」を発足。会員間の意見交換の中で地伝酒復活の話が持ち上がった。「昔は地伝酒という調味酒があり、その地伝酒を使ったのやきかまぼこが懐かしい」という発言があり、また業者の方にも昔ののやきかまぼこをもう一度作りたいという熱い思い入れがあった。

昔の醸造方法を紐解く

そこで8月、今は地伝酒が存在しないので、熊本の赤酒、老酒(ラオチュウ)、古酒等類似していると思われる酒で旬のトビウオ(アゴ)を使ったのやきかまぼこと煎り酒、そばつゆを作って試食した。その結果何とかいいものができそうだという感触を持った。

同時に資料収集に取りかかった。平田市の酒持田本店は戦前まで地伝酒を自社で造っていたが、10年ほど前復活させるため、島根県立工業技術センターの当時の永島科長、岩本職員らとともに試験醸造した。総米5キロの小試験だったが、この時に木灰などの調査がなされた。これをもとに平田市の飯塚さん、松江市の布野さん、そして酒持田本店の元杜氏で、地伝酒が製造中止になるまで造っていた松江市大野町の玉木作二郎さんにその製法を尋ねた。苦労したのは醪の酸を中和し、地伝酒特有の香りを出すために仕上げの段階で入る木灰の精製方法だった。

平田市で灰屋をしていたというお宅を訪ねた。以前の家は既になく転宅し、地伝酒の木灰を実際に作っていたという高橋カメさんは入院中ということだった。病室まで訪ね、木の種類や製造方法などを訪ねた。一子相伝ということで口が重く、なかなか教えてもらえなかったが、案内していただいた平田市の内田永蔵さんに間に入ってもらい、出雲弁で柔らかく話しかけてもらった。根掘り葉掘り聞いていくと、重い口は少しずつ開き、知りたかったことがほとんど聞け、地伝酒の復活に大いに役立った。感謝とともに、出雲弁の良さを痛感した。

次に地伝酒を使っていた人々にもいろいろ尋ねた。民芸家であり、料理研究家でもある金津滋さん、のやきかまぼこの青山さんらたくさんの皆様からお話をうかがった。当時の地伝酒の造り方や味を知る人が少なくなり、地伝酒を復活させるならば今しかないという状況であった。

復活への一歩 試験醸造へ

平成2年2月(1990)、松江税務署から試験醸造免許をもらい、仕込準備に取りかかる。3月、朝7時から島根県立工業技術センター堀江修二科長の指導で、松江市の米田酒造において舟木謹務杜氏ら10人で作業を開始。米を甑(こしき)の中に入れ蒸すこと約1時間。工場内は白い湯気に包まれた。

杜氏たちは蒸米を布の上でほぐして冷まし麹室(こうじむろ)に入れ、製麹(せいきく)には日本酒に比べて1日ほど長い3日をかけ、蒸米と麹をタンクの中に次々と入れ、長い櫂(かい)で混ぜ合わせる。日本酒と同様三段仕込とし、仕込温度は少し高めに設定。日本酒が普通1ヶ月足らずであるのに対して、約3ヶ月間じっくり寝かせ完全発酵させた。上澄みができたら精製した木灰を加えて仕上げをする。味醂が焼酎をベースに糯米(もちごめ)を麹で糖化させるだけであるのに対して地伝酒は発酵酒である。

     

復活した地伝酒

搾った地伝酒は油のように濃く、甘く、旨味の強い、日本酒と味醂の中間的なものであった。甘味は味醂の半分で旨味は3倍から5倍もある。また赤くなるのは弱アルカリ性で糖とアミノ酸が結合するためである。

地伝酒にはグルコースとアミノ酸が多く、また木灰を使うので弱アルカリ性で、しかも木灰の成分であるカリウム、ナトリウム、リン酸などが多量に含まれている。これらの成分はかまぼこの品質改良剤として大変有効な成分である。グルコースとアミノ酸はかまぼこの旨味を増し、しかも焼き上げたときの色つやをよくし、香ばしい香りの源をつくり出す。また弱アルカリ性は魚の生臭さの原因であるアミン類を揮発させる効果があり、カリウム、ナトリウム、リン酸類は魚肉タンパクの保水性をよくし粘弾性を増す性質がある。これらの効果は郷土料理のすべてに有効でおいしくするものと思われる。

地伝酒の広がりへの期待

料理との相性ということで、MATSUE流の会では、50年ぶりに復活させた地伝酒を用いて、実際にアゴのやきをはじめいろいろな出雲料理に使用してみた。創業250年を誇る松江の青山商店では、戦前までは地伝酒を使ってアゴのやきを作っていた。戦後はその代わりに酒と味醂を使っている。 MATSUE流の会の会員でもある青山さんは地伝酒によるアゴのやきをよみがえらせた。先代の社長が子どものころに手伝った程度で、地伝酒の配合具合がわからず、砂糖などの加減にも苦労したというが、科学調味料を一切入れず仕上げることができた。

地伝酒入りのアゴのやきは、従来の物よりもふっくらと焼き上がり、歯ざわりも柔らかい。味はさっぱりとし、皮はこんがりと色よく仕上がった。日持ちもよいそうである。昔宅配便のない時にも遠方に送っても大丈夫だったという。先人の智恵であろうか。
「新出雲風土記」には、地伝酒は煎り酒、鴨の貝焼き、出雲そばのつゆ、うなぎのたれなどに使ったと、配合まで細かく記されている。
平成4年(1992)1月、松江郷土料理研究会による試食会が開催されたが、赤貝の殻蒸し、アマサギの照り焼き、ハゼやイワシの生姜煮、ゴボウなどが従来の味付けに比べるとおいしさ、柔らかさ、こくなど期待に応えるものであった。地伝酒の素晴らしさがわかるにつれ、本格醸造免許が待たれるものである。

地伝酒を一つの企業として復活させようとしてもできなかったであろう。 リスクが大きくただ造っただげに終わったかもしれない。異業種交流会であるMATSUE流の会会員の協力、事務局の長沢弘朋さん、吉儀和平さんの働きぶり、料亭、そばなど食品に携わる人たち、また工芸家の人々による意見、さまざまな人たちとのかかわりでここまでくることができた。また最大の応援は郷土料理研究会の調理士の方々による試食会開催であった。このように地伝酒を造る側と使う側との意見交換がされ、さらに研究が進められて行くことにより、地伝酒が完成されていくものと思われる。まさに異業種交流の賜である。

 
試食会の様子
 
試食会の様子
 
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地伝酒のルーツは御井酒か

 「出雲新風土記」に記載されている地伝酒の仕込配合をみると、日本で最初の酒造りの文献と言われている平安初期の律令の法典「延喜式(えんぎしき)」(927)に出てくる「御井酒」の配合とよく似ている。地伝酒の起源は不明だが、名称の通り出雲地方に古くから製法が伝えられてきた独特の酒で、いわゆる地伝酒のルーツといえるものが御井酒ではないだろうか。「出雲新風土記」によると「地伝酒の辛灰投入前の醪は味が濃厚甘美で、いかにも噛んで造ったという太古の酒を想わすものがある」と書いてある。

 実際に御井酒を造ってみるとやや薄い金色を帯びた強い甘味とさわやかな酸味がある。甘口のワインのようで、デザートワインのような飲み方がよいと思われる。
 麹でうるち米、蒸米、糯米を使い、仕込水は普通の清酒の半分で、いわばぜいたくな酒である。当時の宮中行事に使われ、貴族たちが愛飲していたという。口のこえた現代人にも食前酒や食後酒としても受けそうである。
 地伝酒開発の副産物、古酒にしてもおもしろそうである。