「脈打つ伝統と挑戦 山陰の老舗探訪」(53回) 【一力堂(松江市) 創業約250年】
和菓子製造販売の一力堂(松江市末次本町、高見和雄社長)は、創業約250年。松江藩主の御用菓子商を努め、菓子どころとして知られる松江で、最も古い歴史を持つ和菓子屋だ。高見社長(76)は「素材へのこたわりを忘れず、まじめにきちんと、良い菓子を作ってきたのが店の伝統」と話す。 ◆不昧公好みの菓子◆
創業から代々「三津屋」を名乗っていた。初代三津屋作兵衛は御用菓子商。松江藩七代藩主・松平不昧の業績などを記した「松平不昧伝」に、不昧お好みの菓子として、三津屋作兵衛が指名を受け、作ったとの記述があるい。不昧が生まれた1715年には、既に松江で創業していた可能性が高い。
もともとは同市石橋町に店があったとされ、同社に残る和菓子の木型などが、幕末の安政年間以後のものであることから、高見社長は「安政ごろに、現在地に移転し、道具を新調したのではないだろうか」と話す。
同社の代表的な和菓子「姫小袖」は、かつて松江藩主の注文にのみ応じて作られ、一般に売られることを禁じていたという。店内に飾ってある松江藩主松平家の家紋付きの御用達箱が、歴史を物語る。 ◆高級素材にこだわり◆
高見社長の祖父に当たる六代目の高見作兵衛氏(出雲市出身)の代から「一力堂」を名乗った。作兵衛氏は大阪で菓子作りを学び、素材を吟味し、徹底して最高級のものを使うことにこだわり、伝統の菓子文化の継承に努めた。現在も、菓子の原材料には、最高級の小豆を使用。素材へのこだわりが、脈々と息づく。
明治期の主力商品は羊羹(ようかん)。小泉八雲が同社の羊羹を好んだといい、5年ほど前には、古文書のレシピを基に、「ハーンの羊羹」を商品化。八雲の孫・小泉時氏が、羊羹の栞(しおり)に一文を寄せている。店の伝統が、明治期の製法の再現を可能にした。
戦時中は砂糖の統制などで菓子を作る量そのものが少なくなり、厳しい時代が続いた。高見社長は戦後の1954年に家業を継ぎ、家伝の製法、伝統の味を守っている。 ◆地伝酒どら焼き◆
94年に帰郷した高見雅章専務(44)は昨年、地元に伝わる料理酒・地伝酒を使ったどら焼きの商品化を手掛けた。専務が別の料理酒の存在を知ったことがきっかけになるなど「偶然が重なった」(専務)結果、誕生した地伝酒どら焼きは、同社のヒット商品となっている。
高見社長は「良い素材を使って、まじめに、きちんと菓子を作ってきたことが、江戸期以来の伝統。代々、優れた菓子職人にも恵まれた。これからも、昔の良いものを、次の時代に伝え残したい。」と話す。 <メモ>
社名は「有限会社高見一力堂」。1950年1月に法人化した。事業内容は和菓子の製造販売。約百アイテムを手掛ける。94年11月には楽山支店(松江市西川津町)を開設。98年には、全国菓子博で茶道裏千家家元特別賞を受賞した。従業員七名。 |
|