「出雲のお祭り」を紹介するコーナー。
 〜 「松江鼕(どう)行列 - 11月3日 - 」 〜
●鼕たたきから行列へ
松江大橋を行進中 松江の鼕は、五代藩主松平宣維(のぶすみ)の奥方が享保九年(1724)、京の宮家から来られたとき城下の町方の人たちが競って大きな鼕をつくり、これをたたいてお祝いしたのが始まりといわれています。
 しかし、その起源はもっと古く、厚く神々をまつる出雲の土地がらの中で、歳徳神の前で鼕をたたき町内をねりまわる「とんど」の行事までさかのぼるようです。また江戸時代を通じて松江藩で行われた「左義長」は武士の馬揃えのような意味もありますが、大手前では正月のシメナワの山に火がつけられ、鼕がさかんに打ち鳴らされたということです。
 明治時代になると、町方では2月21日の紀元節と11月3日の天長節に行われましたが、町角に組立てられた宮ぐらの前で昼間は子どもがたたき、夜は若者が鼕を台車にのせてたたきながら近隣の町々を引きまわしました。鳴りものは横笛・チャンガラ(銅びょうし)ですが、これにシャギリの人数がついて唄・三味線が加わるというにぎやかな一隊もあったようで、これを鼕行列と呼んでいました。
 各町の鼕行列が整然と縦隊をつくって行進する現在の形になったのは大正天皇即位の奉祝鼕行列からといわれています。
 この時、各町では宮造りの鼕台(台車)を新調し、鼕もさらに大きくなって、参加した町は35にも及んだということです。
 鼕行列はその後も国や市の慶事のたびごとに行われ、松江名物としてその名は近隣にとどろきましたが、この頃までは夜の行事で鼕台の欄間に町名入りの小提灯を並べかけ、前後に御神灯や絵あんどん、引き手の子供らには日の丸提灯をもたせるなど、灯りの洪水でその美しさはたとえようもなく「ちょうちん行列」とも呼ばれていました。
 第二次大戦後は昭和22年(1947)の新憲法施行の時が最初でした。物のない時代に24町もの鼕宮が勢ぞろいしたのは、敗戦にうちひしがれた人々をどんなに勇気づけたことか。
 この貴重な文化遺産を守り次代に伝えていくために、鼕を保有する町内によって昭和35年(1960)「松江市鼕行列保存会」が結成され、毎年11月3日に開催される松江祭に、各町交替で行列が行われるようになりました。近年の伝統行事保存の風潮のなかで、大阪万国博へも出場した鼕行列は松江の誇りとして永遠に受けつがれ、いのちを保つもののひとつです。
鼕をたたく●行列とたたきかた
 現在の鼕行列は、先導車の後に松江神社の御神輿、その後に12〜15隊の各町の行列が続きます。各町は、町旗・歳徳神を先頭に2基の鼕をのせた鼕宮が続きます。
 引き子は小学生や母親に連れられた幼児でハッピ・鉢巻も勇ましく、釆(ざい)や小旗を持って鼕宮を引きます。まわりには笛・チャンガラ、うしろには酒保の車が従います。
 鼕のたたき方は町によって特徴があり、そろいのハッピもそれぞれに美しく、松江の空は一日中殷殷(インイン)たる響きに包まれます。
 鼕は直径150センチほど、中には200センチもある大物もあり、昔は綱〆めでしたが今は金具を使っています。たたく前には酒を吹きかけて清めます。
 撥(バチ)は長さ60センチばかり、にぎりぶとの桐の木で、松江では鼕のブチといいます。一つの鼕を数人でかこみ一斉に打ちおろす撥さばきに、たたき手の心のはずみを見るようです。
※参考文献(パンフレット)…「鼕行列」(松江市鼕行列保存会 事務局/松江市観光開発公社)

【♪私のバースデー♪ by uehama】
 なんと、「松江鼕行列」開催日は私のバースデーなんですよ(祝日なので祝ってもらった記憶がない…)。だから、この日にある「松江鼕行列」は頭の中に残ってます。まだ、鼕行列には参加したことはなく、いつも道路沿いから暖か〜い目で見守るだけです。一回でいいから、ハッピを着て「鼕」を叩いてみたいものです。今年も「見物客」で終わりそうです…。