「出雲のお祭り」を紹介するコーナー。
 〜 「白潟天満宮例大祭(松江) - 7/25 - 」 〜

本殿

拝殿
 通称、「天神さん」と呼ばれています。この神社の縁起は悪七兵衛景清が、富田城中に菅原道真廟を建てたことに始まり、のち堀尾吉晴が慶長12年(1607)、富田(能義郡広瀬町)から松江へ移城の際、この地に勧請したといいます。悪七兵衛景清とのかかわりの真偽は明らかではありませんが、松江移城後、現在地に建てられたことは間違いありません。天神町もその門前町として栄えた町人の町です。天満宮の祭礼はもとは2月25日でしたが、江戸中期ごろ6月25日になり、明治以降陽暦の7月25日になりました。
 天満宮の夏祭りが城下で最も賑わう祭りであったことは、江戸期の地誌書「出雲鍬(いずもくわ)」や画軸「白潟天満宮祭禮図などで知ることができます。明治以降は祭礼日の前日夜から、露店、見世物小屋などが立ち並び大変な賑わいを見せました。ことにこの天神裏が市内随一の歓楽地であったことから、多くの市民が押し寄せ大橋から境内まで大混雑となって、青年団や警官の交通整理が行われるほどでした。見世物小屋や興行には、サーカス、ぬけ首、人魚、のぞき眼鏡など日ごろ見られぬ楽しみが人々を魅きつけました。また、天満宮本殿の玉垣には、子どもたちの手による書道の作品が並べられます。
 松江では、「天神さんのころが一番暑いとき」といわれて、夏祭りの最高潮の時期でもあります。終戦後もそうとうの賑わいでしたが、この10年余りの間に天神裏も多くの建物ができ、狭くなって、松江最大の夏祭りも次第に変わりつつあります。
【毎年行きます。 by uehama】
 私は会社の中で「祭り荒らし」と呼ばれているほど祭り好きです。毎年全てのお祭りに行っているわけではないのですが、夏に開催される祭りはほとんど毎年行っています。
 夏の第一弾として行くのが、「天神さん」。ここは、露店の数がとにかくすごいです。また、天神町商店街もすごく賑やかで、前になかなか進めないほどです。道路も一部歩行者天国になっており、そこで皆さん飲んだり食べたりしています。
 そして、ここの目玉が、「女みこし(通称:ギャルみこし)」、「企業みこし」、「子供みこし」。ハッピを来た威勢のいい男女や子供たちが人ごみの中を「ワッショイ、ワッショイ!」担いでいきます。間近で見るとスゴイ迫力ですよ。

●おかげ天神
 当宮の御祭神である菅公(菅原道真公)は、承和(じょうわ)12年(845年)乙丑(きのとうし)6月25日に輝かしい伝統を持つ学者の家にお生まれになりました。幼名を阿呼(あこ)といい、文才に優れ、早くも5歳にして
 「うつくしや紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある」
と和歌をお詠みになりました。18歳で文章生(もんじょうのしょう)、33歳の若さで文章博士(もんじょうはかせ)、その後栄進して右大臣まで破格の昇進を遂げられ、従ニ位(じゅにい)に叙せられました。しかし、左大臣藤原時平等の中傷により、57歳になられた正月、にわかに左遷され、延喜(えんぎ)3年(903年)2月25日大宰府でお亡くなりになりました。没後まもなく位が復され正一位太政大臣(しょういちいだいじょうだいじん)が贈られました。その後、天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)と崇められ、国内一万二千社におまつりされています。
この菅公のご聡明で広大なご神徳にあやかって、ご神像を建立いたしました。ご高齢の方々には、いわゆる「ぼけ封じ」・「諸病平癒」を特に祈念致しました。また、お子様の「学業や技芸の進達・すこやかなご成長」、試験を受けられる方の「受験合格」、そして広く皆様方の「健康と家内安全・諸業繁盛」を併せて祈念しております。
 献灯台に灯明を点じ、白布に清水を含ませ、願意に沿ってご神像のお身拭いをして拝礼し、大神様の「おかげ」(ご神徳)をお受け下さい。
※参考文献:白潟天満宮、「おかげ天神」御由緒より