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「出雲のお祭り」を紹介するコーナー。
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〜 「岩野薬師祭(簸川郡斐川町) -
9月8日、9日 - 」 〜
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当寺薬師堂の本尊薬師如来(木造如来形座像)は平安末期の様式で、薬師は一畑薬師、平田薬師とともに出雲三大薬師の一つです。手足が不自由な人や、乳の出の悪い人に霊験があると言われています。
9月8日、9日の祭礼には、露店や農業用の鍬(くわ)・鎌(かま)等の店がたくさん並び、近郷の参拝者で特に賑わいます。中でも昔から『すもう』が呼び物で、かつて地方力士の登竜門として栄えたこともある『出世角力』は自慢の伝統行事です。 【岩野薬師縁起】[参考:岩野薬師の立て看板より] 当山薬師如来は寺伝によると、聖武天皇の御代、行基菩薩がこの地方に来て刻まれた七仏薬師の一体と伝えられている。この薬師如来は、直江の穴前(あなのまえ)の洞(ほら)にあったが、弘仁年中(9世紀初め)近くに住む岩野某の娘が、両親の菩提を弔うため、自分の持ち山へ移し、供養していた。ある夜、夢のお告げにより、北山の篠崎某という男と夫婦になり、二人して一堂を建立し、薬師如来をお祭りした。それからはこの薬師は妻薬師と呼ばれ、いよいよ広く信仰されるようになった。 江戸時代の宝永3年(1706)、岩野山の上に四間四面のお堂を建立し、薬師如来をここへ移してから、出雲(しゅっとう)郡内一円の信仰を得るようになった。さらに、昭和4年(1767)薫随和尚は常念仏堂を建立し、郡民の平安を祈願した。こうして薬師堂の会式(えしき)は郡中の催しとして執行され、常念仏堂でも3年ごとに千日大回向(えこう)が行われたので、大いに賑わった。 また、遠藤与市という男が「百人力を授けたまえ」と願をかけると、石段がへこむほどの大力を得、相手を投げ飛ばして当地第一の名をあげたのにちなんで、境内では相撲が興行され、賑わいにはなを添えた。与市のあげたが願ほどきの絵馬が、今でも薬師堂に残っている。 岩野薬師は昔より霊験あらたかで、眼、耳、口、手足の病気はもとより万病に効験があるといわれている。 会式 毎年9月8日、9日 常念仏堂千日大回向 3年毎 【角力(すもう すまふ)】[参考文献:大辞林第二版] (1)土俵上で、二人の者が組み合い、相手を倒すか、あるいは、土俵外に出すことによって勝負を決める競技。日本の国技とされる。日本書紀によれば、垂仁天皇の時に野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)が争ったのが始めとされる。奈良・平安時代には相撲(すまい)の節会(せちえ)として宮中の行事となり、江戸時代には勧進相撲が盛んとなって、現代の大相撲に引き継がれていった。[季]秋。 (2)「相撲取り」の略。 |
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| ●湯の川温泉 | ||
| 斐川町の人里離れた閑静な地にある湯の川温泉は、和歌山県の龍神温泉、群馬県の川中温泉と並んで、『日本三大美人の湯』として女性に人気です。三大美人の湯と言われる所以は昔の神話によります。 大国主命を慕った稲羽国の八上姫が出雲国へ向かう途中で、湯の川温泉を発見し、この湯につかると美人に更に磨きがかかり、これ以後湯の川温泉は美人泉と呼ばれるようになりました。 「火の山の ふもとの湯こそ 恋しけれ 身をこがしても 妻とならめや」 この歌は、八上姫が大国主命のお后のスセリヒメに追われて稲羽の国へ帰る時に再び立ち寄った湯の川温泉で詠った歌です。 |
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