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「出雲そば」について解説するコーナー。
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〜 地そば−玄丹(げんたん)そば 〜
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厳しい減反割り当ての救済策として明治維新期に機転と度胸で藩を救った玄丹お加代にあやかり「減反と玄丹」をかけて「玄丹そば」の名称とし、生産者・くにびき農業協同組合・松江そば同業者組合・製粉業組合・松江商工会議所等と協力し、生産・消費の振興を図っています。 【玄丹お加代】明治維新の混迷する松江藩の危機を救ったと言われる松江の侠女。父は錦織半兵衛と言い松江藩の藩士でしたが、病により失明。玄丹と名乗り鍼医をしていました。玄丹お加代の名はここからきたと言われます。 大政奉還の翌年慶応4年(1868年)官軍は、西園寺公望を総督とする山陰道鎮撫使を派遣しました。一行の目的は佐幕的態度のあった松江藩を糾弾するものでしたので、松江に入った彼らは無理難題を吹きかけ、傍若無人の振舞をしました。これに対し松江藩はひたすら恭順の姿勢をとり、家老大橋茂右衛門の切腹をもって事態の解決を図ろうとしました。 お加代は鎮撫使一行約2000人のあらくれどもを慰安する酌婦の一人となりました。宴席に出たお加代は、副使の川路利恭が座興で刀にかまぼこを刺して突き出したのを、平然と口で受け取り、酒も所望したといいます。かくして川路に取り入って、家老大橋の危急を救ったと言われます。 |
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制作協力:神代そば
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