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●祭祀信仰と飲食形態
酒宴は宗教的な儀式を祖としている。現在も宮廷の行事には祭礼酒宴の古風が見られ、婚 礼の際の「三三九度の杯」もこうした遺風を伝えるものである。
当時の酒造技術では、アルコールの度数に限度があり、薄く弱い酒であったため、大杯を 皆でまわし飲みしていた。後の技術向上にともない、高濃度の洗練された酒に対して、銘々
杯が用いられるようになる。献盃、洗盃などのやりとりの儀式は、大杯を用いていた時代の なごりであるといわれている。
平安朝の頃は、天皇が主催する節宴が行われ、官位、昇殿の資格を持った皇族や公卿が列 席し、まず正式な席で酒をいただき、その後管弦などの余興を添えてくつろぎながら飲むと
いった趣向を組していた。
武家の酒宴では、椀飯といわれる、椀に大盛りのご飯と酒、肴を出す方式で、のちに「盛 大なごちそう」の意に使われるようになった、「椀飯振舞」も実にこれに始まるといわれて
いる。
近世に入ると、品質向上と流通の発達で、酒宴の機会も多くなり、「つきあい酒」「茶屋 酒」といった新しい形式の酒宴、飲食形態も生まれ始めた。
酒の嗜好、消費形態の違いは、江戸に灘の酒が移入するようになって、より変わった。西 宮の港を出た樽廻船が品川沖で積み直した後、新川の酒問屋に酒が届くまでに約20日を要
した。この間、吉野杉の樽に入って海上をゆられてくると、木の香味が酒にしみて芳醇な風 味をたたえる。江戸料理がこってりと濃厚であり、これに割り水をしてさえも剛直な灘酒の
味と香りがよく同調したといわれている。
一方、上方は瀬戸内や日本海産の新鮮豊富な魚介類が手に入り、一方、木香のそれほど強 くない新しい酒を常態的に口にすることができたために、料理も淡白になったとされている。
近年では、交通、運搬形態の国際化に伴って、欧米各国でも日本酒を愛飲する人々が増えて いるが、すでに18世紀には、ジャワあたりに来ていた英国人や蘭人達の間で飲まれていた
という記録が残っている。現代の清酒の飲まれ方は、一層多様化し、人により季節により、 場面によって、冷酒や燗酒、塩をのせたます酒や、氷を入れたロック、カクテルなどにまで
ひろがっている。更に料理と共に酒を楽しむ食卓が増え、次世代の消費動向へ変化を見せ始 めている。
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